子どもの頃、金曜ロードショーで『ルパン三世 カリオストロの城』を観るために、よく夜ふかしをした。新聞のテレビ欄を毎週確かめて、放送があれば、眠い目をこすってでも必ず観た。『風の谷のナウシカ』も『もののけ姫』も、ビデオが擦り切れるほど何度も繰り返した。
大人になって、そのどれもが宮崎駿という一人の監督の作品だと知った。あの世界を生んだ人は、どんな感性で、どんなふうに仕事をしているのか。気になって、ドキュメンタリーやインタビューを観あさった。そこで耳に残った言葉を、いま自分も“ものを作る側”にいる人間として、受け取り直してみたい。
人生の目的は、幸せになることなのか
まず胸に刺さったのは、「幸せ」についての話だった。世間では当たり前のように、人生のゴールは幸せになることだ、と言う。けれど宮崎さんは、そこに静かに首を振る。
“「ゴールは一人ひとりが幸せになること」「目標は自分が幸せになること」——その考え方には、賛成できません。自分が普段から幸せだと思っているかというと、そうでもない。幸せを目的に生きているかというと、疑問です。
幸せだと感じない時間は、たくさんある。むしろ、つくる人間ほどそうかもしれない。うまくいかず、削られ、眠れない夜がある。
なぜ作るのか ──「金儲けも、有名も、論外」
では、何のために作るのか。言葉はここでさらに厳しくなる。
“飛行機の設計者も、機械を作る人も、その時はどんなに良いと思っても、やがて時代に風化し、機械文明の手先になってしまう。無傷では済まされない。——今の人類の夢は、美しく、そして呪われていることが多い。金儲けがしたいなんて論外。有名になりたいなんて論外。会社が栄えたって仕方がないでしょう。それより、そこにいる人たちが、自分は何をしたいのか、何ができるのかを知っていることが、一番大事なんです。
「呪われた夢」。我々とは少し次元の違う話かもしれないが、ものを作るという行為の、いちばん都合の悪い真実を、ここまで言い切る人を他に知らない。美しいものほど、何かを踏みにじっていることがある。それでも作る。その覚悟の話だ。
支配とは何か、そして“名前”を奪われないこと
『千と千尋の神隠し』について、宮崎さんがこんな話をしていた。あの映画は、実はスタジオそのものを描いているのだ、と。
“この映画は、このスタジオの話なんだよ、とスタッフに説明した。最上階に湯婆婆がいる。うちのプロデューサーも、最上階にいる。新人に「3ヶ月でスピードを上げないと、辞めた方がいい」と告げる——丁寧な言葉でも、湯婆婆の罵声でも、与えるインパクトは同じこと。人が人を支配するとは、どういうことか。権力とは何か。銃や刀ならわかりやすいが、十歳の子が出会うのは、そういう力ではない。そこで一番手っ取り早い支配は、名前を盗むことです。
名前を盗まれた千尋は、「千」にされる。自分が自分であることを、少しずつ忘れさせられる。組織の中で起きていることの、これ以上ない比喩だと思う。
アイデアは、どこから来るのか
最後は、ものを作る人間なら誰もが知りたい話。あの発想は、いったいどこから湧いてくるのか。
“考えるだけでいいんです。本気で考えると、鼻の奥が血のにおいがしてくる。——人は脳の表面で物事を考えていて、その下に無意識の層がある。さらに下に、少し暗い部分がある。映画を作るとき、そこを意識して作ると、なぜかつまらない。困り果てて脳の表面が疲れきった時に、急に、奥から飛び出してくる。ただ意識がないだけではダメで、奥から出てくるためには、血のにおいをたっぷり嗅がないといけない。
アイデアは、ひねり出すものではない。考え抜いて、表面の意識が疲れ果てた、その先に「降りてくる」。近道はない。血のにおいがするまで考えた人にだけ、奥の暗がりが扉を開ける。
それでも、つくる
宮崎さんの言葉は、優しくない。幸せが目的じゃない。夢は呪われている。組織は人の名前を奪う。アイデアは血のにおいの先にしかない。——どれも、ものを作ることの厳しさをまっすぐに突きつけてくる。
それでも、いや、だからこそ、つくる。何をしたいのか、何ができるのかを知っていること。自分の名前を手放さないこと。降りてくるまで考え抜くこと。広島・福山で写真や映像やサイトを作りながら、私はこの言葉たちを、何度も思い出す。
もし、あなたも何かを作る人なら。これらの言葉をどう受け取るかは、きっと他人事ではないはずだ。
