アインシュタインと聞くと、多くの人は E=mc² といった難解な数式を思い浮かべるのではないだろうか。けれど彼は、教育や、ものづくりにおいて本質を突いた「言葉」をたくさん残している。物理の天才である前に、彼は世界をどう見るかについて、これ以上なくシンプルで、深いことを言い続けた人だった。ものをつくる仕事を続けるなかで、ふとした時に立ち返りたくなる。そんな言葉を、テーマごとに書き留めておく。
好奇心こそが、すべての入り口
彼は自分を「天才」だとは思っていなかった。ただ、人より少しだけ長く、しつこく、好奇心を手放さなかっただけだと言う。
私には特別な才能などありません。ただ、ものすごく好奇心が強いだけです。
私はそれほど賢くはありません。ただ、人より長く、一つのことと向き合ってきただけなのです。
大切なのは、疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を、失ってはならない。
想像力は、知識より遠くへ行く
知識は、過去に誰かが見つけたものの集まりでしかない。けれど想像力は、まだ誰も見ていない場所まで届く。
空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。
一見して馬鹿げていないアイデアは、見込みがない。
困難の中に、機会がある。
教育は、好奇心を殺しもする
彼は型にはめる教育に懐疑的だった。それが子供の中にある「問い」を、静かに奪っていくことを知っていた。
私の学習を妨げた唯一のものは、私が受けた教育である。
正規の教育を受けて、なお好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だ。
常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。
だからこそ、彼にとって「教える」とは、押しつけではなかった。
教えるということは、こちらが差し出したものが、辛い義務ではなく、貴重な贈り物だと感じられるようなものであるべきです。
「分かる」とは、シンプルにできること
本当に理解しているかどうかは、どれだけ易しく語れるかに表れる。複雑なまま語るのは、まだ分かっていない証拠だ。
6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。
物事はできる限りシンプルにすべきだ。しかし、シンプルすぎてもいけない。
知的な馬鹿は、物事を複雑にする。それと反対の方向へ進むには、少しの才能と、多くの勇気がいる。
学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。そして無知に気づくほど、より一層学びたくなる。
挑戦しない人は、間違えることもない
失敗は、挑んだ者だけが受け取れる勲章だ。そして、動き続けることでしか保てない均衡がある。
挫折を経験したことがない人は、何も新しいことに挑戦したことがない人だ。
同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと。それを狂気という。
人生とは、自転車のようなものだ。倒れないようにするには、走り続けなければならない。
何を成すかより、何を与えるか
彼は「成功」を人生の目標に置かなかった。残したのは、もっと静かで、もっと重い基準だった。
成功者になろうとするのではなく、むしろ価値のある人間になろうとしなさい。
人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。
優れた科学者を生み出すのは知性だと、人は言う。彼らは間違っている。それは人格である。
誰かのために生きてこそ、人生には価値がある。
それでも、人間に絶望しない
二つの大戦の世紀を生きた人の言葉には、それでも人間を諦めない、静かな強さがある。
この世の危険なところは、悪いことをする人がいることではなく、それを見ながら何もしない人がいることだ。
人間性について絶望してはいけません。なぜなら、私たちは人間なのですから。
自分自身の目で見て、自分自身の心で感じる人は、とても少ない。
すべてが、奇跡であるかのように
人生には2つの道しかない。一つは、奇跡など存在しないかのように生きること。もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。
ものをつくる仕事は、ともすれば技術や納期や評価の話に飲み込まれていく。けれど本当は、目の前の世界をどう見るかというところからしか始まらない。好奇心を手放さず、想像し、シンプルに削ぎ落とし、人に届ける。アインシュタインの言葉は、難解な数式の人のものではなく、何かをつくろうとするすべての人のための、姿勢の話なのだと思う。
